協会の沿革
- 1973年(昭和48年)
- 昭和24年設立の日本ソフトボール協会より、同協会が主催する「日本実業団女子ソフトボールリーグ(現日本リーグ)の「昭和49年第1節開催」要請が同リーグ加盟の「興和紡古知野(当時)」を通じて江南市へあった。当時江南市には「体育協会」はあったが、「ソフトボール協会」が無く、日ソ協会の要請受け皿が無かった。それ故これを契機としてその開催を引き受ける「江南市ソフトボール協会」を、朱宮昌敏(当時市体育協会理事長)、岩田満(当時興和紡古知野監督、現愛知県ソフトボール協会副会長)の両氏が発起人となり、この年10月に設立した。
- 1974年(昭和49年)
- 4月、江南市体育協会が「加盟団体方式」を採用し、部制を廃止して「協会制」に改組。ソフトボール協会も正式に江南市体育協会に加盟した。 4月、「日本実業団女子ソフトボールリーグ」第1節を開催。参加は全国の8チーム。これに出場した「興和紡古知野」は、3勝1敗でリーグトップに立った。この年から協会主催の諸大会を「江南市ソフトボール大会」と改称して、一般男子(14チーム)、一般女子(3チーム)、少年(23チーム)にて夏季大会、秋季大会を開催した。
- 1977年(昭和52年)
- 市内各チームから選抜した「江南クラブ」が発足し、出場した「県民大会」で優勝を果たした。この先「江南クラブ」は毎年各種県大会等の試合に、江南代表で出場した。1月、審判団が規約を作り、協会の「審判部」として発足。この時審判員は68名で、うち公認審判員は二種4名、三種43名。非公認者には、江南独自のワッペンを作成して「審判補助員」として育成を図った。
- 1980年(昭和55年)
- 三種審判認定会を開催。この年、江南で初めて「一種審判員」が二名誕生する。この年から審判部の中に「記録部」を設置した。
- 1983年(昭和58年)
- 2月17日、市民体育館にて、協会創立「10周年記念式典」を開催。
- 1990年(平成2年)
- 日本女子リーグ第1部第2節を3日間開催。
- 1993年(平成5年)
- プレ国体として「全日本クラブ女子選手権大会」を開催。
- 1994年(平成6年)
- すいとぴあ江南にて、協会創立「20周年記念式典」を開催。
第49回国民体育大会ソフトボール競技<成年女子>を開催。
- 1999年(平成11年)
- 第一種公式記録員認定会を開催。
- 2000年(平成12年)
- 日本女子ウエスタンリーグ江南大会を開催。
- 2004年(平成16年)
- すいとぴあ江南にて、協会創立「30周年記念式典」を開催。
日本女子ソフトボールリーグ2部第1節大会を開催。
- 2010年(平成22年)
- 第三種公認審判員認定講習会を開催。
- 2014年(平成26年)
- すいとぴあ江南にて、協会創立「40周年記念式典」を開催。
日本女子ソフトボール2部リーグ第2節大会を開催。